クロード・モネ
モネ 「印象派の開拓者」
モネは美術学校にも行かず、古典的な絵の教育を受けることがありませんでした。
当時、すばらしいとされた古典的人物画を書くのではなく”刻一刻と変わる風景”を捉えた作品を描き続け、34歳のときに「印象・日の出」を描き上げ、自然光が映し出す一瞬の光景を表現することを追求していきます。
ある日、列車の窓から見たジヴェルニーの景色の美しさに心奪われ移り住み、精魂込めて作り上げた美しい庭園を作り上げ、自然が織りなす様々な情景をモチーフに色と光の表情を描き続けました。
モネの絵画作品
睡蓮
モネが得意とし、何度も描いた「睡蓮」。
水にゆったりと浮かび移動している睡蓮と表情豊かな藻が、印象的です。
ただ水に浮かび、ゆるやかな流れに流されるまま、ゆっくり、ゆっくりと時間だけが過ぎて行きます・・・。
個人的な解釈ですが、人生とはこういうものだという思いを、モネはこの睡蓮に見ていたような気がしてなりません。
散歩、日傘をさす女
人気テレビ番組、美の巨人たちの「絵画史上最も美しい女性の肖像画」のランキングに入るほど、魅力的な作品です。
この女性はモネ自身の妻、カミーユを描いたもの。
冬から春にかけての肌寒い風と、どこかモネ自身、思い出をたぐりながら描いたようなタッチが本当に魅力的で、美しく哀愁ただよう作品になっています。
基本的に芸術家というのは、浮き沈みが激しいもの。カミーユはモネの作品のモデルを何度も勤め、苦しい時期も、二人三脚で乗り越えてきました。
生活は苦しい、しかしモネの作品に登場するカミーユは、どれも幸せに満ちている。
二人にとって、お互いは最愛のパートナーだったに違いありません。
しかしモネに限ったことではありませんが、芸術家というのはときどき、自分の未来を予言するかのような作品を創ってしまうときがあります。
カミーユは、この作品が完成した4年後、32歳の若さで病により息を引き取りました。
カミーユと同化させるように描かれたような雲。
しかしその雲は霧に変わり、愛妻カミーユを連れ去っていくかのようにも見えます。
予断ですが僕は、おそらくモネはこの作品を描いたとき、無意識の中でカミーユとの別れを感じていたような気さえするのです。
僕は昔、仕事で地元を離れることとなり、出発の前日、しばしお別れという意味で、飼い犬を散歩に連れて行ったときのこと。その際、なぜかこれが最後になるような不思議な感覚を覚えたことがあります。
ただの予感として気にも留めていなかったのですが、出発した2日後、犬小屋で息を引き取っていたとの家族からの連絡があり、あのとき感じた感覚は、やはりただの予感ではなかったんだと思い、いまでも本当に悔やまれる思い出です。
もっと遊んでやればよかった。いろんなところに連れて行ってあげればよかったと。
モネも、どこかそういう不思議な感覚を覚えながら描いていたんじゃないかな〜と、この絵を見るときにはついつい考えてしまいます。
クロード・モネ(Claude Monet 1840-1926 フランス)
印象派を代表する巨匠クロード・モネ。
代表作『印象日の出』が印象派の名称となったのも有名です。
フランスパリに生まれ少年期をフランス北西部ル・アーブルで過ごします。
パリに出て画塾で、絵の修業をしている時期に、
ブーダンの感化を受け、画家を志したと思われます。
その後、ルノワール、シスレー、ピサロ、バジールらと親交を深め、
印象展を開きます。その時の出品作品が『印象日の出』でした。
湧き上がる蒸気と光の効果を見事に描きだした朝の鉄道駅風景は、
印象派を決定づけた作品『サン・ラザール駅』です。
差し込む光を瞬時に捉えそれを画面で表現する印象派の
理念に沿ったモネの作品はまさに印象派を代表する傑作でした。
後半生ジヴェル二-に屋敷を設け、積みわら、睡蓮などをモチーフに、
連作という形式で描きました。
農村風景を描いた『ジヴェルニーの積みわら、夕日』。
自邸の庭に、日本庭園を模写した睡蓮の池を作り、
30年間睡蓮の絵を描き続けました。『睡蓮』『睡蓮の池』など。
風景と人物を融合させて描いたのが『舟遊び』浮世絵などの
日本の美術に影響を受けた作品の一つです。
モネの日本びいきは有名で、浮世絵を初め、
屏風絵、襖絵などから大きな影響を受けた作品が多いです。
逆に20世紀絵画の先駆者モネに
影響を受けた日本の画家もまた多いです。
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