絵画道楽のすすめ

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ゴッホフィンセント・ファン・ゴッホ

ゴッホ 「狂気の天才画家」

狂気の天才画家ゴッホ。代表作「ひまわり」を描き、日本の浮世絵をこよなく愛した後期印象主義の代表画家です 
ゴッホ最大の理解者であった弟テオの援助で、パリで生活をするようになったころから、ロートレック、ゴーギャンらと親交を深めていきました。
ゴッホはそれと同時に印象派と浮世絵の世界に影響されていきます。
しかしゴーギャンとの不和などが原因で精神の病にかかり以後入退院を繰り返し、1890年7月27日、パリ郊外オーヴェル・シュル・オワーズでピストル自殺を計り、2日後に死亡。
享年37歳の若さでした。
製作実働期間は10年で約2,000点を制作。うち油絵は900点。・・・にもかかわらず、
生前に売れた作品は1点のみでした。
ゴッホ特有のその情熱的なタッチは、観る者に強烈な印象を与えます。

ゴッホの絵画作品

ひまわりひまわり
ゴッホは「ひまわり」をいくつか描いていますが、そのいくつかは焼失してしまったとされています。
しかし、ゴッホの描いた「ひまわり」の中でも、こちらの「ひまわり」は最高傑作とされており、この作品が残った、そして日本の美術館にあるということは、”奇跡”といわれているほどです。(損保ジャパン東郷青児美術館(新宿区)所蔵)

2日に1〜2枚のペースで絵を描いたゴッホ。

まるで”生き急ぐ”かのように絵を描き続けたゴッホは、結果的に自分の寿命までも短くしていました。

そんなゴッホの描いた、魂の1枚「ひまわり」。
何より注目してしまうのは中心部分。

限界を超えて身を滅ぼそうとせんばかりに、咲き乱れるひまわり。そして、左側に見て取れる、力尽きていったひまわりたち。

ゴッホはこの「ひまわり」に関して、
「このひまわりの黄色を再現するには、大量のアルコールとカフェインで極限にまで感性を高める必要がある」
そう述べています。

ゴッホの激しい精神状態に触れてしまいそうです・・・。 この1枚にゴッホの生き様すべてを見い出せる、迫力のある作品です。

ちなみにこの「ひまわり」の本数(14本)は、ゴッホがアルルの黄色い家に呼ぶ予定だった画家の人数とゴーギャン、そして画商だったゴッホの弟、テオをあらわしているのだとか。

ゴッホはアルルにて多くの画家と画業に専念し、その中で生まれた画家たちの作品をテオが販売するというかたちを作りたかったのかもしれません。

夜のカフェテラス夜のカフェテラス
星がきらめく涼しげな夜です。

お客さんも適度な数。こんなお店でこんな夜に、実際に誰かとくつろいでみたいですよね。(^^)

「ほんのりとした優しいひかり。」

画家だけでなく、私達も今ほんとうに求めている、安らぎの場所なのかもしれません・・・。

この絵に対して「怪しげな夜」という印象を持つ方も多いとは思いますが、僕は逆に安らぎさえ覚えるような作品です。

種まく人種まく人
ミレーの描いた「種まく人」は、当時のゴッホのテーマでもありました。

そして黄色にも夢中だったこの頃のゴッホ。

ミレーが土の色から様々な色を生み出していたように、ゴッホは黄色から生まれる様々な
色彩を生み出したのです。

糸杉と星の道糸杉と星の道
この作品でゴッホは何を表現したかったのでしょう?

ゴッホの描く、涼しげな夜・・・のように見えますが、よく見てみると何かの流れを表現するかのようなタッチで描かれています

目には見えない、なにか得体の知れないエネルギーを表現しているかのようです。
しかし描かれた人たちには、そんなことに気づきもしない・・・。

目には見えない、しかし確かに存在する、宇宙全体を動かすエネルギーの奔流を、
この作品で表現したとでもいうのでしょうか・・・?

アイリスアイリス
ゴッホは数枚のアイリスを描いています。

その中でもこの作品は、 1987年11月のニュ-ヨ-クの競売で、欧州の美術商に72億円という当時の史上最高値で落札されたことで一躍有名になった作品です。

アルルでのゴ-ギャンとの共同生活に破れたゴッホは、自分の耳を切ってサン・レミの病院に入院します。
この作品は、一週間後の5月に病院の庭を描いたものです。

ダンギー親父ダンギー親父
最愛の弟テオの他に、ゴッホを支援した数少ない人物のひとり。ダンキーおじさん。

2日に1〜2枚のペースで絵を描いたゴッホは当然、絵の具の量も半端ではありません。(汗)

ダンキーさんは、そんなゴッホを応援し、画材などを提供していたのです。

ゴッホは、そんなダンキーさんに感謝を込めて、自分自身が描いた大好きな日本の浮世絵とともに、彼の肖像を描き残したのです。

自画像自画像
ゴッホは。アルルの「黄色い家」にて、ゴーギャンらをはじめとした、画家の共同体を作りたかったのですが、なかなかうまく行きませんでした。

発狂したゴッホはナイフで自分自身の耳を切り落とします。

そして切り落とした自分の右耳を隠すかのように、それ以降、自分自身を描いた肖像画は常に左面からしか描かなくなりました・・・。

弟のテオには画家の共同体について、手紙の中でこんなことを言っています。
「画家の共同体・・・やめることだ・・・。」

アルルの跳ね橋アルルの跳ね橋
日本の浮世絵には影がない。
そんな理由で、浮世絵が注目された時代、ヨーロッパ人には「影がなくなるほど日差しの強い国」という印象が日本にはありました。

そんな日本にあこがれ、ゴッホは日差しの強いアルルに移り住んだのでした。

花咲くアーモンドの小枝花咲くアーモンドの小枝
自殺をはかる半年前に描かれた作品。

ゴッホは2000点もの作品を描いたものの、生前に売れた絵画作品は1枚だけ・・・。
そしてこの「花咲くアーモンドの小枝」こそが,
その記念すべき1枚なのです。

ゴッホがいかに日本の浮世絵を愛していたかが
わかるかのような作品ですね・・・。

弟のテオに子供が産まれたことを祝し、喜びを込めてこの絵を描いて贈りました。まさにゴッホは「西洋の浮世絵画家」といっても良いでしょうね・・・。

星降る夜、アルル星降る夜、アルル
このような優しい光を用いた絵は、ゴッホの絵の特徴のひとつ・・・。

芸術に苦悩し、日々孤独との戦いだった画家。この”ひかり”そのものに、画家は満たされたかったのでしょう・・・。
夜空に輝いているのは・・・北斗七星でしょうか?

ゴッホの部屋ゴッホの部屋
ゴッホはアルルに移り住み、画家の共同体を作ろうと考えます。

それがあの「黄色い家」と呼ばれるものです。「黄色い家」で画家の共同体をつくる・・・。結果的にその夢はかなわなかったのですが・・・。

ゴッホは自分の部屋を描いたこの絵に対してこんな言葉を残しています・・・。
「いろんな色を使って、絶対の安息を描こうと思ったんだ。・・・自分の部屋を描くのは楽しかった・・・。」


ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
(Vincent van Gogh 1853-1890 オランダ)


10年の短い生涯を駆け抜けた炎の人ゴッホ。
いろいろな仕事を転々とし、
本格的に画家を目指すのは27歳を過ぎた頃でした。

そしてゴッホはミレーの作品の模写することに没頭します。
そのときの影響で『種まく人』が生まれました。
ゴッホは、ほとんど独学でオランダの
農民、職人、風景画を描いていったのです。

そしてパリに出て印象派とめぐり合い、
その明るい色彩と細かいタッチの点描技法を
ゴッホ独自の手法で多くの作品を生み出していきます。

その技法とは、その頃チューブ入りの絵の具が出回ったせいもあり、
絵の具を分厚く塗る方法でありました。

このような方法を"インバスト塗り"といい、
印象派の画家たちが競って取り上げましたが、
ゴッホの作品はそれとは量の面でも筆の勢いの面でも
大きく違っていました。
彼の代表作であり十数点描かれたという
『ひまわり』にもその勢いが見られます。

アルル地方に移り190点もの作品を描いています。
その代表的な作品が『アルルの跳ね橋』です。

パリ時代の2年間で描かれた油絵が230点と
1年で約10点と異常な速さと言わねばなりません。

ゴッホが尊敬した風景画家の庭を描いた『ドービニーの庭』、
自殺する寸前に描いたとされるこの絵は、
猫が描かれていたのを何者かが消したという
ミステリアスな面もあり有名になりました。

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