グイド・レーニ
レーニ 「ボローニャ生まれの巨匠」
某人気番組で取り上げられ、人気に火がついた画家です。
視聴者が選ぶ人気投票でも2位に選ばれ、フェルメールの「青いターバンの女」と共に、注目もうなぎ上りです。ベアトリーチェ・チェンチの悲しい物語は多くの人々に感銘を与えました。
フェルメールはこの作品をモデルに「青いターバンの少女」を描いたのでは?とも言われています。
グイド・レーニは女性が大嫌いだったということでも有名な画家です。
しかしそんな彼が描いた「ベアトリーチェ・チェ・チェンチ」。 とても綺麗ですね・・・。
レーニ自身の何らかの想いが、この絵に見え隠れしています。
レーニの絵画作品
ベアトリーチェチェンチの肖像
この絵画のモデルであるベアトリーチェは、ローマ貴族の中でも名家として知られるチェンチ一族の娘として1577年に生まれました。
一族の長、フランチェスコ・チェンチは、若い女とみれば見境なく陵辱するという女癖の悪い男。極悪非道の限りを尽くしてローマにいられなくなり、山奥の村ペトレッラの城へ避難しました。
フランチェスコは絶世の美女に成長した自身の娘、ベアトリーチェを、他の男が寄りつかないように城内に監禁し、時折現れては彼女を奴隷のように酷使したのです。美しい娘
の精神と肉体を痛めつけることに快楽を覚えたフランチェスコは、彼女が20歳になった時、快楽のはけ口を娘の体に求めるようになります。
父親の絶望的な欲望から逃れるため、ベアトリーチェは父親の殺害を決意します。
手を貸したのは彼女に同情した継母や家来たち。
殺害後、司直の手に落ちたベアトリーチェは激しい拷問に耐え切れず、ついに罪を自白します。家長殺害は極刑に値する重罪だったため、ベアトリーチェは断頭の刑に処せられるため、髪をまとめて頭にターバンを巻かれました。
『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』は、処刑の直前、牢屋の中にいたベアトリーチェを、チェンチ家とゆかりのあった枢機卿がグイド・レーニに命じて描かせたと言われています。
ローマ市民はベアトリーチェに深く同情し、死刑に反対しました。しかし、その前に立ちはだかったのはバチカンでした。時の教皇クレメンス8世は、チェンチ家の領地と財産の没収を企み、一族全員の死刑を言い渡し、
1599年9月11日、サンタンジェロ橋の広場でベアトリーチェと一族の処刑は執行されます・・・。
ベアトリーチェが処刑された広場に集まっていたローマ市民は怒りと興奮で騒ぎ出し、多数の死者と負傷者を出したといいます。
この絵を描いた画家、グイド・レーニは群衆を描くことに長けていましたが、彼は
処刑の場面も、怒るローマ市民も、残酷な刑を執行する男たちも描きませんでした。
グイド・レーニ(Guido Reni 1575-1642 イタリア)
詩人ゲーテによって「神のごとき天才」と激賞されたグイド・レーニは、
イタリア北部のボローニャに生まれ、画学校に入りそこでカラッチに
師事した人物です。
20歳半ば、ローマに出て本格的な画業を始めます。
代表的な作品は、ローマのロスピリオージ宮殿の天井画『アウローラ』。
この作品に描かれている理想化された優雅な人物の表現や
優しさあふれる柔和な色彩などレーニのどの作品でも見られ、
巨人ラファエロの古典主義様式の影響を受けたことが伺えます。
『アウローラ』の人の配置など古代様式が
見られるところにも興味深いものがありますね。
この『アウローラ』が完成した年に、
生まれ故郷ボローニャに、レーニは帰りました。
教皇や貴族からの注文を断り、華やかな生活を捨てて
故郷に帰ったのは自由な生活を望んだためなのでしょう。
レーニに影響を与えた画家は、ラファエロのほか、
バロック期の巨匠、カラバッジョがいます。
劇的な構図や激しい明暗の対比は、
レーニの作品に色濃く投影されているといえるでしょう。
ボローニャの国立絵画館に展示されている
『嬰児虐殺』などにも見て取れます。
トップページ 有名画家一覧 幻想画家一覧
Copyright (C) 絵画道楽のすすめ, All Rights Reserved.
|